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宗教と科学を統合する!現代を生き抜くための「真の教え」の掴み方

作成者: ELEMENT編集部|Aug 23, 2021 6:00:00 AM

「神」と「カミ」の違いとは?

心や意識の学びを深めていくと、
探求の先で必ず、宗教の領域にさしかかります。

日本人の宗教観については
いろんな議論がありますが、

よく言われることとして、
「宗教」という単語は
明治に入って外来語を訳す中で作られたもので、
英語では“Religion”となりますね。

語源となるラテン語では“Religio”で、
「神への崇敬・畏怖」が原義とされます。

しかし、欧米はじめ一神教世界での
超越絶対的な「神」を前提とした“Religion”というものと

古来からの大和言葉での「カミ」や
翻訳語としての「宗教」というものは、

言葉の上では同じように使われていても
実際その言葉が含み持つ概念は
全く異なる、ということになります。

こういった言葉と概念の混同が、
「宗教」に対する日本人の
ある種の嫌悪感や固定観念にも
感覚的に影響していると思うのですが、

この混同をわかりやすく整理する
一つの視点として、
次のように考えてみてはいかがでしょうか。

 “Religion”的な「宗教」は
「自分の外」に畏怖や信仰対象としての神をおき、

本来的な日本の「カミのみち」としての
教えは、「自分の内」にもともとある
「カミ」とつながるものである、と。 

「枝葉」の教えと「幹となる」教え

日本でいくつかの宗教団体がらみの
社会問題が起こったことで
なんとなく宗教が忌避されるのは、

教祖・教団・教典など
「自分の外」に信仰対象や依存を生む、
“Religion”的な構造が大きな要因ではないかと思います。

しかし「宗教」という
単語も、よくよく考えると
実に的を射たもので

「宗」は、宗家、宗族、などと
使われるように、「中心や根源」
といった意味合いがあります。

つまりは、世の中に
思想、哲学、科学など
多種多様な教えがある中で、

それらの教えの「中心であり根源」となる
真なる世界を掴む概念であることが、
本来の翻訳の意図である、と考えられますね。

それは木で例えるなら、
様々な枝葉に分かれ、細分化した
学問体系や知識体系の中心にあって

あらゆる学びや教えの
「中心であり根源」たる、
確固とした幹のような存在です。

ところが、世に「宗教的」と忌避されるものは
その本筋からズレて、
一宗一派のように
枝葉の性質となってしまったものが多いのでしょう。

逆に言うと、本来の
「中心であり根源」の「真の教え」であれば

物理学や数理なども含め、
現代科学がさまざまに解明した法則も
全て包含するものとなる必要があります。

データム・グループの
あらゆる研究開発基盤として、

白川神道が常に学問や科学の最先端を
包み込み、それらを解析・応用する

取り組みを続けているのも、
ひとえにその意味合いに通じるからです。

白川の教えや探求姿勢の奥深さは、
七澤代表のインタビュー記事にも
実に端的に現れていると思いますので、
こちらもぜひご一読をお勧めいたします。

古神道とデジタル技術の融合
『人類が手に入れた究極の意宣りのシステム』

https://maforama.datumhouse.jp/electronic-temple4

また、「真の教え」としての白川の学びに
ご関心のある方は、ぜひ、白川学館のご案内もご覧ください。

 

ひとたび「真(まこと)」を掴めば、
その教えはあらゆる叡智に通じる。

情報氾濫のこの時代の中、
自分の人生に確固たる軸を立てるための学びとしても、
ぜひ白川の教えの有用性に関心を寄せてみて頂けたらと思います。