研究開発部長Iさん
さて、ここからは、伊邪那岐が黄泉國から帰ってきて禊ぎをする場面から見ていきましょう。
本当に穢れてしまったため、禊ぎをしなきゃいけない。
この禊ぎをすることで、また神様が生まれてきます。
その最後の三神、天照大御神(アマテラスオオミカミ)と月讀命(ツクヨミノミコト)と須佐之男命(スサノオノミコト)が誕生することが、古事記の最初のクライマックスとなっています。
伊邪那岐も3人の貴重な子を得たことを「本当に素晴らしいことである」と言ったんですね。
アマテラス、ツクヨミ、スサノオは「三貴神(さんきし)」とも言いまして、「三貴子(みはしらのうずみこ)」とも言うんです。
そして、それぞれの世を治めるために、3人の御子の手に委ねられました。
ここまでが天津神の物語です。
三貴子(みはしらのうずみこ)までが天津神です。
ここで、須佐之男(スサノオ)は天津神でもあるんですが、最初の国津神でもあるんです。
ここで、神様を分類するような「呼び名」が出てきたことに気が付かれたかもしれません。
そう、実は、神様にも階層があるんです。
図は、古事記に見られる「神の階層性」を表しています。
天津神があって、国津神がある。
そして、さらに広がって八百万神があります。
さらに、天津神の中でも最初の十七神(先天十七神)で言霊の原型が完成するように、天津神の中にも細かい体系があります。
特に、一番最初の五神は、別天津神(ことあまつかみ)と呼ばれ、その中でも最初の三神は造化三神(ぞうかさんじん)と呼ばれます。
このように「神」という体系は綺麗な階層性を持つようにできています。
それによって世の中が創造されてるんです。
ここに美しさを感じませんか?
ここでは、そんな階層性の美しさをご紹介しました。
いかがでしたか?
八百万神(やおよろずのかみ)
こう聞くと、賑やかだけど、わちゃわちゃした感じがしますが、
そんな神々の中にも整然とした階層性があったんですね。
すべてを神として受け入れながらも、
秩序を大切にする。
そんな日本人の「在り方」の原点がここにあるのかも知れません。
次回の記事では、
日本人の在り方を再認識できる古事記という
神話を知る「真の意味」をお伝えしていきます。
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