こんにちは、小野寺潤です。
これまで色々なところで
これから大きく変わっていくというお話をしました。
お伝えしたかったことは、
これからの時代
何があるか分からない訳ですけれども、
端的に言って、
個人主義の人は生き残れない
と言っている訳ですね。
ですから、しっかり集団で
意志を合わせて乗り越えていかないと、
越えられないことが
これから多々出てくるということになります。
国家が平和な時代や、
経済が回っている時代は
個人主義で十分通用しましたし、
それが格好良いという側面も
あったりしたのですが、
もうそういう訳にはいかないんですね。
しっかり皆で、手を取り合ってと言いますか、
意志を合わせてやっていかないと
本当に流されてしまう、また潰されてしまう
ということが起きる訳です。
元々、戦後の政策的な問題もありましたが、
例えば家族の関係も核家族とか、
そうやってどんどん分断することによって、
人間というのは力を失っていくんですよね。
個人主義というのは、
一見聞こえは良いようで
いざとなったら誰も助けてくれませんし、
むしろ個人で苦労するのは
自我を強めてしまう側面があるんですね。
それよりも
正しい集団でということになりますけれども、
そうした集団の人々の能力が向上すると、
中にいる自分の能力も
勝手に上がってしまうという
仕組みがあるんですね。
これが日本的な発想でありまして、
自分だけ出し抜いて
ということではない訳です。
ですが、個人主義的な政策をとることが、
逆に言うと権力者側にとったら都合が良い
ということになるんですよね。
核家族のように分断化することによって、
皆が支配者の言うことをよく聞くようになる
ということがある訳です。
有名な例として、ロシアでレーニンが
家族を崩壊させるための法律を
作った事があるんですね。
家族という構成は駄目ですよと。
要は、みんな政府の子供になりなさい
という法律を出した訳ですが、
後に失敗するんですけどね。
スターリンがそれを変えてしまいますが、
そういう形で分断することが
一番権力者側としては都合が良い
ということになる訳です。
ですから、親が子供に「良い子になりなさい」
という表現がありますけれども、
それは自分が支配しやすくするために
言っているのであって、
決して子供の能力を伸ばすために
言っている言葉ではなかったりしますよね。
ただ、もちろん外で
犯罪をされては困ってしまいますから、
しつけというのは大事ですが、
それを越えた支配を押し付けるとか、
そういうことが強くなってしまうと
育つべき人間も育たないことになる訳ですね。
そういったことで、これまでの在り方を
見直していただきたいというのは、
この自分の中に存在する個人主義的な側面を、
どうシフトできるか?
ということを問うている訳ですね。
その中でやはり大事なのは、
意識の五階層という考えがありますけれども、
「体・情・魂・霊・神」の中でも
とりわけ情の階層に、やはり私達は
引っかかってしまうことがある訳ですね。
五情という言い方をしますけれども、
この五情の中に「悔いる」とか
ありますけれども、
そこには「恥じる」というのが入っています。
これが意外と曲者になっていまして、
要は大事なことがあっても、
「これを言ったら恥ずかしい」とか
「良い人にしていないと恥ずかしい」
という思いが日本人は特に働くんですよね。
ですから、本当に危ない時に
「危ない」と言ったら、
恥ずかしいのではないかということで、
人に言えなくなってしまうんですよね。
そうすると、組織そのものが
駄目になってしまいますし、
その人を救えないことがある訳です。
私達は個人個人の感情を
守ることをやっている訳ではなくて、
もっと上の階層をやっている訳ですね。
それこそ民族を守る、
また地球を守るというテーマでやっているので、
危ない時に危ないと言えないと
本当に駄目になってしまう世界がある訳ですね。
個人主義に入っている人ほど、
自分がよく見られたいとか、
良い形で済ませたいと思いますので、
この恥じるということを越えられない
ところがあるんですよね。
ですから、恥ずかしいことが
ある意味これから出来ないといけない局面も
出てくるという可能性がある訳です。
それは結局、既存の文明の中で、
良い人でいれば生きていける
という時代ではないことが前提にある訳でして、
今はどちらかと言うと、
より良く生きるではなくて、
生きるか死ぬかの
瀬戸際にあるという事な訳ですね。
これまでの良い時代の延長上に
行くんですよという話ではなくて、
この文明自体が転換しようとしている時に、
生き残る人と生き残らない人が
必ず出てくる訳ですね。
ですから、生き残るために
何をしたら良いかということであり、
その場合には自分の恥ずかしさとか
感情をかなぐり捨てて生き残りにかけないと、
本当に世界から落とされてしまう訳ですね。
これは一見大変そうに思えますが、
これまでの在り方をチェンジすることによって、
仮に一人になっても、その一人に十人、
何千人という力が加わってくる
凄さもあるんですね。
これまで一人の力でなんとか努力する
という流れがありましたが、
集団で意志を合わせて動きますと、
集団の叡智が全部個人に入るんですね。
個人個人がこれまでの一倍という力から、
十倍、百倍、場合によっては千倍と
広がっていく世界が
これから表出してくる訳です。
ですから、そちらの道を選ぶのか、
あくまでも個人だけ良ければよい
という道を選ぶのかで、
全く違いますよね。
今後の白川学館の方針もそうなのですが、
個人の能力を上げることよりも
いかにこの集団を活かすのか、民族を活かすのか
ということを真剣に考える訳です。
これがないとやっていけないよ
ということでありまして、
我々がそこを実際に
この時代において証明しようということで
日々こういった仕事をし、
生活をしている訳なんですね。
一見、個人次元で考えたら
厳しい話に聞こえますが、
もっと高い次元で考えると、革命的と言うか、
あるいは面白いと言うんですかね。