今年に入って、空海の真言密教の
学びを深める機会がありました。
きっかけは、死生観をテーマにした
本を書いているときに、
空海の有名な『秘蔵宝鑰』という
著書からの引用確認をしたことです。
そこから、空海という人物と
真言密教の詳細について
芋づる式に興味が湧きまして、
主著とされるものを一通り読んでいると
不思議なご縁で
空海ゆかりの情報に
接する機会も色々と増えました。
もっとも、密教というものは、
実家が真言宗でもない限り
一般的にあまり身近ではないと思いますし、
「密教」という字面から、
なんとなく敬遠してしまうような
怪しげな雰囲気を感じる方も少なくないと思います。
あるいは映画やテレビのシーンで、
暗い堂内で不思議な呪文を唱えながら
火に木を投げ入れて祈祷しているようなイメージから、
そういった、呪術的な行法としての
印象を持たれている方も多いのでないでしょうか。
かくいう私自身も、密教に対しては
そのくらいの認識しか持ち合わせていませんでした。
一方で、晩年の空海の提案により
平安京内で始まった、鎮護国家の
ための真言密教の加持祈祷は、
以降、明治になるまで断続的に
1000年以上もの間、ずっと行われていた、という
一般的な歴史教育では
耳にする機会がほとんどない事実もあったりします。
平安時代初期から現代に至るまで
日本国の安寧と繁栄に寄与してきた
真言密教の、奥深い力と叡智。
それほどのものであるなら、
空海の生きた時代から
1200年の時をへて
現代を生きる私たちにも
具体的に、現実的に活かせる知恵が
さまざまに散りばめられているのではないか。
そう考えて先人の声に
耳を傾けてみると、
そこにはやはり、素晴らしい知恵が。
そして、インド由来の密教を
日本風に適応させ、昇華させた
空海の真言密教の意義が浮かび上がってきます。
その教えの詳細説明はさておいて、
もっともシンプルに
顕教と密教の違いを例えるなら
その一つは「空相」と「マンダラ」の
違いにある、と捉えてよいかと思います。
「空相」は、禅寺などによくある
一円の相のことで、ひと筆で描かれた円が
禅宗のお寺にはよく飾ってあったりしますが
それを空海以前の顕教(特に大乗仏教)の、
一つの象徴的な絵図だとするなら
「空」の世界を含め、そこを起点として
現象世界の創造原理までを表す象徴が、
私たちがよく目にする真言密教の「マンダラ」です。
それは、仏教的な悟りの叡智と
縄文以来の神道的な日本の叡智が結ばれる接点でもあり、
人生に、実社会に、
密教の知恵を生かすヒントでもあります。
ということで、次回の記事では、
密教についての話と合わせて、
それが白川神道の教えとつながる
接点についても、触れていきたいと思います。