ここから言霊のお話に少し触れてみたいと思います。
日本という国が言霊という大切なものを失って、
これだけ長い歳月が経ったことでしょう。
しかし、あまりにも強い力を持つものは、
時に反目され、ある時は歴史の表舞台から
消されてしまう運命にあるようです。
言霊も例外ではありません。
言霊は今や単なる言葉の綴り程度にしか
理解されなくなりましたが、
その実は山をも動かすほどの力があるとされ、
紀貫之はそのことを、『古今和歌集』の序文で
「力をも入れずして天地を動かすのが言霊だ」
と詠んだほどです。
旧約聖書では「光あれ」という言葉によって
この世が生まれたとされ、
新約聖書では
「はじめに言葉ありき」という記述により、
言霊の立ち位置を明確にしています。
つまり、あらゆるものが
言霊によって創造されたということです。
ここである重要なことに気づかれるかもしれません。
つまり、一般的な宗教の世界では、
神がこの世界を創造したとされます。
ところが、聖書では
言葉によって世界ができたと言っているわけです。
これは意外と盲点ではないでしょうか。
また、「力をも入れずして天地を動かす」存在に関しても、
通常は真っ先に神のような存在を思い浮かべがちですが、
そうではなく、
実はそれは言霊だと貫之は言っています。
実際、『新約聖書』の「ヨハネの福音書」では
「はじめに言葉ありき」の後に
「言葉は神だった」という記述が出てくるのです。
インドの『ヴェーダ』 でも
「言葉は最高のブラフマンだった」と言われます。
さて、ここまで来ると、もう
「言葉は神である」という事実から逃れることはできません。
世界でも有数の聖典と日本の歴史が
そのように語っているわけですから、
むしろそれを覆すことの方が、
どれだけ大変かおわかりになるでしょう。
ただここで注意しなくてはならないのは、
言葉と言霊は別物であるということです。
両者とも表面的な意味は一緒ですが、
それぞれの存在する領域は異なるのです。
つまり、
言葉の元にあるものが言霊だ
ということになります。
ちなみに邦訳
「はじめに言葉ありき」の元の文面には、
「WORD」ではなく
「LOGOS」という言葉が使われており、
事実、明治時代初期に
初めて出版された聖書には
「はじめに言霊ありき」と書かれていました。
ですから、言葉であれば
何でも神というわけでなく、
その奥に 「LOGOS」たる言霊があるかどうかで、
言葉の力も別物のように変わってしまうというわけです。
にもかかわらず、私たち現代人は
言葉をコミュニケーションのツール程度に考え、
その奥に潜む言霊をないがしろにし、
結果的に、神を遠ざけるようなことをしてきました。
そこに、以前も述べたように、
実現する言葉としない言葉の違いが出てくるわけですが、
本書をお読みの皆さんは、
もうその違いについておわかりでしょう。
結局、三角形の頂点にあるのが「言霊」であり、
そこから全てが始まるというのは、
ギリシア哲学と新約聖書を合わせれば、
意外と解けてしまう問題でもあったということです。
(次回に続く)
※ご理解を深めていただくため、
まだ前著『とほかみえみため〜神につながる究極のことだま』をお読みでない方は、
併せてお読みいただくことをお勧めいたします。
『とほかみえみため〜神につながる究極のことだま』は、
一部を抜粋してdaum houseでも記事として公開しています。
気になる方はぜひ、こちらからお読みください。
著者 : 大野靖志(本名 : 小野寺潤)
宮城県生まれ。早稲田大学商学部卒。
ユダヤ教をはじめ世界各国の宗教と民間伝承を研究後、白川神道、言霊布斗麻邇の行を通じ、新たな世界観に目覚める。
現在は、多彩な執筆活動と並行して、一般社団法人白川学館理事、ラボラトリオ株式会社代表取締役、neten株式会社顧問を務め、日本と米国に意識変容のためのデジタル技術を普及すべく、東京と山梨を拠点に、さまざまなプロジェクトに力を入れている。
大野靖志(おおの・やすし)として著書『成功の秘密にアクセスできるギャラクシー・コード』『あなたの人生に奇跡をもたらす 和の成功法則』『願いをかなえるお清めCDブック』(サンマーク出版)、『とほかみえみため~神につながる究極のことだま~』『「とほかみえみため」はなぜ奇跡を起こすのか?』(和器出版)などがある。