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ボランティアが能力開発に効く理由 | “公”の視点で目覚める能力とは?

作成者: ELEMENT編集部|Jan 8, 2022 6:00:00 AM

公を掴むことは、最高の能力開発である

こんにちは、小野寺潤です。

本日も公シリーズということで、
またお話をしたいと思います。

七澤前代表とお話ししたことを、
皆さんにお伝えしたいと思います。

どういったことをお伝えしたいかと言いますと、
公を掴むことは、まさに最高の能力開発である、
ということが、今日のテーマになります。

一般的に、公のためにやるというと、
自分の能力を使うにしても、
人のためにやるので、
何か損をするとか、自分に見返りがない
と勘違いをする方が、意外と多いんですよね。

或いはボランティア的な感じで、
尽くすだけ尽くしますと、
では見返りはどうなんだ、ということで、
それを無意識的にも
期待してしまう場合があったりするわけです。

ですから、世間一般的な基準でいいますと、
公に尽くすとか公のためにやる、ということは、
言い方は悪いんですけれども、損だという、
そういう捉え方があるんですよね。

ところが一方、皆さんの日々の活躍を見ていても
明らかですけれども、
公に目覚めた人は、どんどん能力を
広げていくことができるんですね。

今までにない自分の力が発揮されたりします。

逆に、自分のためにやろうとすると、
力というのは、ほとんど発揮できずに
終わってしまうわけであります。

なぜ公を掴むことで、能力が開花するのか?

では、なぜ公のために頑張ったり、
また公を掴もうとすると、
能力が開発されるのかといいますと、

それは、公のために働こうとすると、
自分自身を客観視する目が働くんですね。

通常は自己主体、
つまり主観的にものを見ますので、
自分から見た世界しか信じられないし、
その世界で自分だけ得しようと
考えるわけですよね。

ところが、公のために、と考えますと、
視点が自分中心から
外側に移ってくるわけなんですね。

いわゆる客観視
ということができるようになってきます。

また、客観視が極まってきますと、
主観と客観視を超えた、全体を見る目
というものが養われまして、
それに伴って自分の脳の機能にも
全く別の働き方が起きるわけです。

ですから、公というのは
もちろん捉えようがない
表現ではありますけれども、

公に目覚めることは、
まさに自分の気づかなかった客観視によって
新たな自分に気づくということになります。

また、この新たな自分に気づいた場合に、
これをどう役立てるか、ということの、
さらなる客観視も起こるわけです。

広く世界を見ていくことから、
自分をどう役立てるか、
という風にだんだん変わってきますので、
全く自分の視野が変わり、
また自分の心の広さも
変わってくるわけです。

「公」が「神」とつながる理由

ですから当然、
能力が発揮されて、
あたりまえと言えますし、

当然、人間的にも広がってきますので、
そういった方は非常に
信頼も厚くなってきますし、
また活躍できる場も広がってくる、
ということなんですね。

非常に単純な理屈ではありますが、
戦後の日本から失われた概念でもあって、
なかなか気づきにくいところではあります。

まさに公に目覚めることによって、
客観視がしっかりできるようになると、
客観視の上の世界に
行くこともできるんですね。

それを私たちは神、
と呼んでいますけれども、

そういった世界につながるための
公の活動であり、
またそういったことを日々、
うるさく言っているかと思いますが、
それは皆さんの能力を広げるために
言っているわけなんですね。

わざと押し付けて、義務的にこれをやれ
と言っているわけではなくて、
単純に公に目覚めると、能力が開かれますよ、
ということを言っているわけです。

ですから、ここのところは、
毎回くどくど申し上げて恐縮ですけれども、
知っておいて損はない、
というところもあります。

これを我々は全員でやることで、
日本全国、また世界を
変えようということで、やっています。

まず我々、一人一人が目覚めてないと、
何も言うことはできませんので、
そこをしっかりまた
取り組んで参りたいと思います。

またこの機会に、
「公」についての直近の記事も
合わせてご覧いただければと思います。

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