【努力不要】自我を超えた「公」の世界の簡単なしくみとは?

自我を超えた「公」

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こんにちは。Element編集部です。

「自我を超えた世界」って、どんなだろう?

自分というものを超越(いわゆる自己超越)すると、
すべてが一つだと分かる感覚になるらしい・・

そんな体験が、努力不要でできるとしたら。

きっと本当の自分に気づいて、
願いも自然と叶っていくのかな。

今回は、自我を超えた世界を知る方から、これを実現するための簡単な方法について
解説していただきました。

古神道の秘伝ともいえるその世界は、「公(おおやけ)」と呼ばれるもの。

それは一体、どんな世界なのでしょうか。

古来、修行僧が何年も修行をして会得しようと努力するように、
普通は「公を掴みたい」と願い追い求めますが、それでは逆に、
公からは遠ざかってしまうようです。

では、どうすればいいのでしょうか?

その先には、「すべてが循環する持続可能な世界」があります。

ぜひ最後までお読みください。

お話をしてくれた人

小野寺潤

宮城県生まれ。早稲田大学商学部卒。
ユダヤ教をはじめ世界各国の宗教と民間伝承を研究後、白川神道、
言霊布斗麻邇の行を通じ、新たな世界観に目覚める。

現在は、多彩な執筆活動と並行して、一般社団法人白川学館理事、
ラボラトリオ株式会社代表取締役、neten株式会社顧問を務め、
日本と米国に意識変容のためのデジタル技術を普及すべく、
東京と山梨を拠点に、さまざまなプロジェクトに力を入れている。

大野靖志(おおの・やすし)として著書
『成功の秘密にアクセスできるギャラクシー・コード』
『あなたの人生に奇跡をもたらす 和の成功法則』
『願いをかなえるお清めCDブック』(サンマーク出版)、
『とほかみえみため~神につながる究極のことだま~』(和器出版)などがある。

自我を超えた「公」の世界とは?

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おはようございます。

先日の月次祭(つきなみさい)でもお話をしたことですが、
今日はまた「公」ということについて、
大事な部分をお話ししたいと思います。

*月次祭とは・・神道における祭礼のひとつ。
古くは毎月行われたようであるが、
『延喜式(えんぎしき)』において6月と12月の11日に行うことが規定され、
朝廷と伊勢神宮で行われた。
その文化と伝統を伝える白川学館では、毎月執り行っている。

ちょうど月次祭の前日に、
七澤代表*と公について、
お話をしたという経緯があります。

*七澤賢治 ・・・白川神道の正式な継承者で、
言霊や祓いを取り入れた世界最先端の言語エネルギー研究機関である
datumグループの代表

ここから大事な部分を
皆さんにお伝えすることによって、
今後の方針というか
生き方が決まってくるかと思います。

まず申し上げたいのが、
公という言葉を言った場合に、
こうしなければいけないとか、
こうすべきだという
「義務ではない」ことが大事なんですね。

公のためにというと、
何かこう頑張って、努力して、
こうしなきゃいけないという
発想になりがちなんですけども、
これは全く私たちが提唱する公とは
違う世界なんですね。

ボランティアとか
色んな世界がありますけども、
そういったものではなく、
あくまでも持続可能な姿としての
公を言っているわけであります。

ではこの公とは、一体何かと言いますと、
これはまさに「空(くう)」そのもの
という表現になるんですね。

つまり全く何もない
という状態でありながら、
この状態は自我が完全に消えていますので、
いわゆる森羅万象と一体化した
状態にあるわけなんですね。

私がない状態を公、
と言っても良いかと思います。

公の世界の入り口

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ですから、こうしなければいけない
と思って動いているうちは、
これは私が中心でやっていますから、
まだ公ではない、ということなんですね。

本当に祓いをしっかりやって、
自分というものを消して、
そこから忽然と現れる空と言いますか、
「何もないけれども全てがある」という、
そうした中で大いなる気づきが生まれて、
必要なことが勝手に出てくるわけです。

例えば、玄関の靴を揃えましょうとか、
最初はそこから始まってもいいんですけども、
義務的にやるのではなく、
自分が気づいたことは、もうどんどん、
自然のままにこなしていくというのが、
公の本来の姿であり、
また楽しさでもあろうかと思うんですね。

自我を持って世界を見る人は
視野が狭くなりがちですけども、
自我が消えた公の世界にいる方は
360°全方位に意識が行っていますので、
気づきも盛んに出てきます。

そういった本来の姿に
私たちは入っていきたいわけなんです。

この公の世界は、
ひたすら努力しない世界というか、
努力するという自我が消えますので、
ありのままにやっているということで
力が要らないわけです。

継続性のある世界には、
努力が一切ありません。
努力をする世界だと継続しないんですね。
ある時、休みたくなりますから。

継続性があるということは、
余計なエネルギーを消費しない
というところもあるんですね。

一般的には努力する世界とか、
一生懸命こうしなければいけないということで
公を掴もうとする方がおられますけども、
掴みにいくと必ず逃げてしまうのが、
また公でもあります。

掴もうとする自分すら消すことによって
初めて空であり、無私の状態が生まれる
ということになるわけです。

公とは思考しない状態

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ですから、別の言い方をすれば、
もう思考しない状態、
思考のない状態のことがまた公であり、
あれこれ考えて動いているうちは
公ではないということになるわけですね。

非常に簡単な仕組みではあるんですが、
言葉にすると若干長くなりましたけども、
とにかく本来の公とは何かを
皆さんこれから真剣に
追求していただきたいと思います。

またそういった姿勢が、
これからあらゆる場面で結果に
どんどん現れてきますので、
本来の公で是非とも
勝負していただきたいと思います。


いかがでしたでしょうか?

「公の世界はひたすら努力しない世界」

その理由は、
「努力するという自我が消え、
 ありのままにやっているので力が要らない」

ということでしたね。

「掴もうとする自分すら消す」

最初は難しいかもしれませんが、
ぜひ試してみてくださいね。

今後もどんどん真の情報を提供していきますので
お楽しみに。

datum house Element 編集部

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