宮本武蔵が伝えた「悟り」の極意
![Batu Caves statue and entrance near Kuala Lumpur, Malaysia.](https://element.datumhouse.jp/hs-fs/hubfs/Batu%20Caves%20statue%20and%20entrance%20near%20Kuala%20Lumpur,%20Malaysia..jpeg?width=1000&name=Batu%20Caves%20statue%20and%20entrance%20near%20Kuala%20Lumpur,%20Malaysia..jpeg)
こんにちは、小野寺潤です。
前回の記事では
「火事場の馬鹿力」について見てきました。
今回はそれが必要な場面を
別の角度から見ていきましょう。
現代は決闘という言葉が死語になりつつありますが、
かつてはこの日本にも、命がけの勝負がありました。
宮本武蔵の名前ぐらいは
皆さん知っているでしょう。
吉川英治の小説を読まれた方も
おられると思います。
その武蔵の著に
「五輪書」というものがありますが、
現代にも通じる極意書となっており、
今もその人気は変わらないように思います。
さて、その武蔵の「五輪書」ですが、
見ようによっては階層性を取り入れた
デジタル兵法学にもなっています。
「地水火風空」の五輪・・
タイトルからして五階層*。
*五階層とは・・・
古神道である伯家神道では、体・情・魂・霊・神、といった5つの階層の考え方が基本にあります。
因みに「五輪書」の最後の締めに
書かれたのが「空の巻」です。
普通は「地の巻」から始めますが、順番を逆にして、
いきなり「空の巻」の冒頭部分を見てみましょう。
「二刀一流の兵法の道、空の巻として書顕はす事、
空といふ心は、物毎のなき所、しれざる事を空と見たつる也。
勿論空はなきなり。ある所をしりてなき所をしる、是則ち空也。」
興味があれば「空の巻」の全文をお読みいただければ
と思いますが、この出だしだけで十分でしょう。
「空の巻」は「悟り」の指南書ともいえる側面があり、
単純な文章の中に何ともいえない味わいがあります。
「ある所」とは「実」の世界であり、
「物事のなき所」は「虚」の世界と観ることができますね。
つまり、「実」の生まれる源が「虚」の世界であり、
それを「空」と見立てているわけです。
で、結びに「空は有善無悪、智は有也、
利は有也、道は有也、心は空也」と出てきます。
兵法の道は、心を空っぽにすることが最善である、と。
それが武蔵の最終結論でした。
「火事場の馬鹿力」は、そんなところから出るのだと。
悟りに至る「心のありよう」とは?
![Conceptual image of human brain in colorful splashes](https://element.datumhouse.jp/hs-fs/hubfs/Conceptual%20image%20of%20human%20brain%20in%20colorful%20splashes.jpeg?width=1000&name=Conceptual%20image%20of%20human%20brain%20in%20colorful%20splashes.jpeg)
とはいえ、誰もが武蔵のような「空」の
境地に行けるわけではありません。
そこで彼は「水の巻」で次のように、
心のありようを述べているわけです。
「兵法の道において、心の持ちやうは
常の心に替ることなかれ。
常にも、兵法の時にも、少しもかはらずして、
心を広く直にして、きつくひっぱらず、
少しもたるまず、心のかたよらぬやうに
心をまんなかにおきて、心を静かにゆるがせて、
そのゆらぎのせつなもゆるぎやまぬやうに能能吟味すべし。」
つまり、心を均等に水のようにゆるがせて、と言っています。
が、やってみると分かりますが、
意外とすぐにどこかに偏って、
なかなか簡単にそうした状態を
維持できるものではありません。
そこで必要になるのが、
デジタル的な監視の目です。
油断なく水であり続けるためにということですね。
アナログが「過去−今−未来」
の流れに乗ったものとすると、
デジタルは「時々刻々(永遠の今)」
の連続体と見ることができます。
アナログの場合、「今」という時間は、
実績ある「過去」と、希望の「未来」に支えられ、
一人ぼっちではない「今」という意味において、
何だか暖かく安定感がありそうな印象があります。
一方、デジタルの場合は
「今」が「過去」や「未来」と分離していることで、
支えがないというか、安定感がないような、
寒々とした印象がありますね。
けれども、余計な感情に引っ張られることなく、
着実に仕事をしてくれます。
というか、その仕事量は
全くアナログの比ではありません。
瞬間の変化に対応する目の使い方
![Young woman praying on a grey background with a sparkling bird above her](https://element.datumhouse.jp/hs-fs/hubfs/Young%20woman%20praying%20on%20a%20grey%20background%20with%20a%20sparkling%20bird%20above%20her.jpeg?width=1000&name=Young%20woman%20praying%20on%20a%20grey%20background%20with%20a%20sparkling%20bird%20above%20her.jpeg)
「水の巻」には「兵法の眼付と云う事」として
こんなことも書かれています。
「目の付けやうは大きに広く付くる也。
観見の二つの事、観の目つよく、見の目よわく、
遠き所を近く見、ちかき所を遠く見る事、兵法の専也。」
こちらはまるで
監視カメラが自分に二つ付いているかのようです。
近くを見るカメラ(見の目)で遠くを見て、
遠くを見るカメラ(観の目)で近くと全体を見る
と言っています。
参考までに、「見の目」を通常の見方とすると、
「観の目」は周辺視野を使った見方になります。
言い方を変えますと、
ピントが合っている範囲が「見の目」で、
ピントが合っていないところが「観の目」です。
ピントが合っているところではなく、
合っていないところを認識の主体にすることで、
画像がデジタル処理されることがわかります。
つまり、映像に引っ張られることなく、
瞬間瞬間の変化に対応できるということです。
もし、ピントを合わせてしまうと、
認識がそこで一瞬止まってしまいます。
敵からすればそこが狙いどころで、
勝負の世界では文字通り命取りになりますね。
認識すら、水のようでなくてはなりません。
デジタル思考が「過去−今−未来」の幻想を祓う
![Young guy in casual evading from colorful splashes](https://element.datumhouse.jp/hs-fs/hubfs/Young%20guy%20in%20casual%20evading%20from%20colorful%20splashes.jpeg?width=1000&name=Young%20guy%20in%20casual%20evading%20from%20colorful%20splashes.jpeg)
最後に「多敵のくらゐの事」を取り上げましょう。
「いかにもして敵をひとへにうを
つなぎにおひなす心にしかけて、
敵のかさなると見えば、其儘間をすかさず、
強くはらひこむべし・・
折々あひ手を余多よせ、
おひこみつけて其心を得れば、
一人の敵も十二十の敵も心安き事也。
能く稽古して吟味有るべき也。」
これは、どんなに多数の敵であっても、
一列に並べる感じで、一人一人対応すれば、
一人でも何十人でも同じだと言っています。
アナログの発想だと、相手が多い段階で尻込みして、
はじめから勝負を諦めてしまいます。
つまり、「過去−今−未来」の幻想に陥り、
「あれもしなきゃ、これもしなきゃ」の
パニック状態になるのです。
けれども、冷静にデジタル感覚で対応すると、
人数の問題ではないと気づきます。
結局、目の前の相手を一人一人順番に
倒すだけの話ですから。
だいたい、集団でかかってくる相手は、
個人が弱いから集団になるのであって、
一人の単位で見ると、
全く大したことがないとわかります。
そう思えるためには、
アナログではなく、デジタル思考になって
いないといけないわけですね。
デジタル的な意識の使い方
![businessman hand working with modern technology and digital layer effect as business strategy concept-1](https://element.datumhouse.jp/hs-fs/hubfs/businessman%20hand%20working%20with%20modern%20technology%20and%20digital%20layer%20effect%20as%20business%20strategy%20concept-1.jpeg?width=1000&name=businessman%20hand%20working%20with%20modern%20technology%20and%20digital%20layer%20effect%20as%20business%20strategy%20concept-1.jpeg)
ただ、今になってわかるのは、
武蔵の戦い方は、忍者でいうと下忍のそれに
当たるんですね。
一般的にはあまり知られていませんが、
忍者には上忍、中忍、下忍の階層があり、
自分の力を使うのは主に下忍で、
中忍は下忍のコントロール、
上忍は情報戦で勝負を決めるわけです。
なので、武蔵は個人レベルでは強かったのですが、
大名とは相性が合わなかったようです。
けれども、処世術の一環として、
「五輪書」から学ぶことは多いのではないでしょうか。
アナログの時代にもデジタル的な
意識の使い方があったということで、
これは現代の私たちも
見習うべき点かもしれません。
いかがでしたか?
宮本武蔵が活躍した江戸時代の初期から
意識の本質を使う人達は
デジタル思考だったのかも知れませんね!
心のあり方、目の使い方
そして、意識の階層性。
ぜひ参考にして日常生活に活かしてみてくださいね。
今後も意識が広がるようなお話をどんどん紹介していきます。
お楽しみに。