言葉の力を知らない私たち
皆さんは普段、
言葉というものをどれだけ意識しているでしょうか。
たとえば、人に話す時、
独り言を言う時、思考する時、
メールを送る時、など。
言葉が活躍する場面は、
日常生活のほぼすべてといってもいいかもしれません。
にもかかわらず、
こうした言葉の本質について
議論される場面は、ほとんどありません。
「日常生活も人生も言葉でできている」
といってもいいぐらいなのに、です。
その理由は、
言葉があまりにも当たり前な存在である、
ということにあろうかと思います。
人に対してであれ、心の中であれ、
言葉を出すのにお金はかかりませんし、
力もいりません。
また、そのためのエネルギーを
補充する必要もありません。
つまり、言葉は誰でも
無償で手軽に利用できてしまう
便利なツールというわけです。
いつでも使えるツールであるがために、
それに対して敬意が伴うことはありません。
また、他人も自分も
同じツールを持っているという点において、
自分だけが威張れるものでもありません。
しかも、
子供も大人も関係なく使えてしまうという、
あまりにも当たり前のツールです。
けれども、もし言葉というものがなかったら、
とんでもないことになる、
ということだけは誰にでもわかります。
ちょうど空気のようなもので、
なくなって初めてありがたみのわかる存在、
といえばいいでしょうか。
日本の歴史と「ことだま」
こうして振り返ってみますと、
私たちが言葉というものの価値を忘れてから、
悠久の時間が経過したように思います。
子供たちの手本となる大人も
言葉の大切さを説かなくなってきました。
今や、親たちが子供に
「勉強しなさい」と言うことはあっても、
「言葉を大切にしなさい」と諭すことはないのです。
そこには戦後の急速な物質主義化がありました。
第二次世界大戦後、
「ことだま」という言葉が放送禁止用語となったことも、
理由の一つかもしれません。
最近になり、ようやく規制もゆるめられ、
NHKの連続ドラマにも「ことだま」
というセリフが出てくるようになりました。
が、ドラマの時代設定が戦前ということもあり、
現代に生きる私たちには、
縁のない話と片付けられることも多いように感じられます。
ところが、日本の歴史を過去に遡ってみますと、
「ことだま」は日本にとって
極めて馴染み深いものであったことがわかります。
たとえば、奈良時代に柿本人麻呂は、
『万葉集』にこんな歌を残しています。
しきしまの大和の国は 言霊の助くる国ぞ まさきくありこそ
また、山上憶良も同じ『万葉集』で次のように語っています。
神代より言ひ伝て来らく そらみつ大和の国は皇神の厳しき国
言霊のさきはふ国と語り継ぎ言ひ継がひけり
今、私たちは
「令和」という元号を持つ時代に生きていますが、
この「令」と「和」という言葉も
『万葉集』に由来します。
かつて「ことだま」という言葉は
「事」とも表記されました。
つまり、「言う」という行為と
「事が起こる」という現象は同じだということです。
「ことだま」の科学性と再現性
皆さんもどこかで一度は、
「言葉というものは実現するものである」
と聞いたことがあるかもしれません。
なぜなら日本の言葉には
言霊というものが宿っているからだ、と。
たとえば、これは単純なお話ですが、
「馬鹿野郎」と言われて気分のいい人はいません。
逆に「ありがとう」と言われて
気分を悪くする人もいないでしょう。
また、社長が
「これからどんどん伸びるぞ」と言えば、
社員もついていこうと思いますし、
「もうだめだ」と言えば、
社員はその会社から逃げたくなります。
つまり、「ことだま」という表現をせずとも、
言葉にはすでに周りを変える直接的な力があるということです。
これは別に特殊なことではなく、
極めて当たり前のことといえます。
ではそうした言葉の影響力はどこまで届くのでしょうか。
平安時代の歌人であった紀貫之は
『古今和歌集仮名序』で、
言葉というものは、力を入れなくとも天地を動かすものだ
と述べています。
力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、
男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり
「ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を引き起こす」
というバタフライ効果をご存知でしょうか。
言葉により人間の行動が変わることを考えますと、
その波及効果はまったく蝶の比ではないことがわかります。
けれども、今ここでお話しした内容は、
言葉の持つ当たり前な力を表現しただけであって、
言葉が「ことだま」として持つ力は、
そんな表面的なレベルに止まりません。
また、宗教や民間伝承の世界に限られたものでもないのです。
信仰の力というものは確かに存在しますが、
「ことだま」とは実のところ科学そのものであり、
再現性のあるものであることを、
皆さんは本書を通じて知ることになるでしょう。
(次回に続く)
「とほかみえみため〜神につながる究極のことだま〜」
著者 : 大野靖志(本名 : 小野寺潤)
宮城県生まれ。早稲田大学商学部卒。
ユダヤ教をはじめ世界各国の宗教と民間伝承を研究後、白川神道、言霊布斗麻邇の行を通じ、新たな世界観に目覚める。
現在は、多彩な執筆活動と並行して、一般社団法人白川学館理事、ラボラトリオ株式会社代表取締役、neten株式会社顧問を務め、日本と米国に意識変容のためのデジタル技術を普及すべく、東京と山梨を拠点に、さまざまなプロジェクトに力を入れている。
大野靖志(おおの・やすし)として著書『成功の秘密にアクセスできるギャラクシー・コード』『あなたの人生に奇跡をもたらす 和の成功法則』『願いをかなえるお清めCDブック』(サンマーク出版)、『とほかみえみため~神につながる究極のことだま~』『「とほかみえみため」はなぜ奇跡を起こすのか?』(和器出版)などがある。
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