不死身の日本兵に学ぶ、自分を超える力の出し方

超越

こんにちは、
Element 編集部です。

自分を超える、
本当の力の発現。

その力で、
絶対絶命の状況を突破し、
自分の本当の使命に気がつく。

社会現象となった
鬼滅の刃や、
今、話題の呪術廻戦

さらに遡れば、
ドラゴンボールやワンピース
エヴァンゲリオンといった

少年漫画の主人公たちは、
自分の知らない
本当の力に目覚めるところから、
物語がはじまります。

かつての少年たち(私たち)は、
そんな主人公に自分を重ね

未知の強敵との戦いに
ドキドキしながら、

新しい能力の開花に
ワクワクしていました。

 

しかし、いつしか

 

学校や社会のルールや
周囲の大人たちの
疲れた表情から

「そんな力は自分にはないんだ」

と無意識に感じ取り、
成功している人を見ると、

「自分とは違う特別な存在だから」

と諦めてしまう。

今回、小野寺さんが語ってくれるのは、
そんな方にこそお読みいただきたい、
ある不死身の日本兵のお話です。

小野寺さんご自身が
仕事や人間関係で、八方塞がりの時期に
必ず思い出すようにしていたのが、

この不死身の日本兵が使っていた

「人間の能力を拡大させる力」

ぜひ最後までお楽しみください。

こちらの記事は、白川学館理事である
小野寺潤が大野靖志の名義で発信していた有料のメールマガジン
「週刊 デジタル真道」(まぐまぐ発行)より、
一部を抜粋および編集してお送りします。

「週刊 デジタル真道」は現在休刊中ですが、
まぐまぐ社からご登録いただくと、
発行済みの全43話分のお話(バックナンバー)をすべてご覧いただけます。

https://www.mag2.com/m/0001687899

人間の可能性を広げる

Newborn baby first days of life

こんにちは、小野寺潤です。

舩坂弘という人物をご存知でしょうか。

私は初めてこの人の話を聞いて、
本当にびっくりしたんですね。

彼は第二次大戦中、
和製ランボーのような働きをしながら、
戦後、渋谷に大盛堂書店を設立します。

学生時代よく待ち合わせに使っていたので、
あの本屋さんの創業者が、まさかそんなにすごい人だとは
思いもよりませんでした。

人間の可能性を知る上で、
大変参考になる人物ですので、

皆さんの常識を広げるためにも、
ぜひご一読いただきたいと思います。

 

━━━━━━━━ 

舩坂軍曹は第二次大戦中、
アンガウルという激戦島に送られます。

そこでいきなり戦功を上げますが、
左大腿部に裂傷を負った時に、
軍医は、自決用の手榴弾を手渡して立ち去ったといいます。

が、翌日には左足を引き摺りながらも歩けるまでに回復しました。

そんな状態で、拳銃の3連射で米兵を倒したり、
米兵から奪った短機関銃で2人を一度に斃し、

左足と両腕を負傷した状態で、銃剣で1人刺し、
短機関銃を手にしていたもう1人に投げて
顎部に突き刺すなど、奮戦を続けたのです。

けれども体はボロボロです。

最後は、ついに自決を図りましたが、
手榴弾は不発でした。

舩坂は死ぬ前にせめて敵将に一矢報いんと
米軍司令部への単身斬り込み、肉弾自爆を決意します。

手榴弾6発を身体にくくりつけ、拳銃1丁を持って
数夜這い続けることにより、前哨陣地を突破し、

4日目には米軍指揮所テント群に
20メートルの地点にまで潜入しました。

この時までに、負傷は戦闘初日から数えて
大小24箇所に及んでおり、

このうち重傷は左大腿部裂傷、左上膊部貫通銃創2箇所、
頭部打撲傷、左腹部盲貫銃創の5箇所あり、
さらに右肩捻挫、右足首脱臼を負っていました。

また、長い間匍匐(ほふく)していたため、
肘や足は服が擦り切れてボロボロになっており、

さらに連日の戦闘による火傷と
全身20箇所に食い込んだ砲弾の破片によって、
さながら幽鬼か亡霊のようであったといいます。

しかもそれまでの20日間、ほぼ飲まず食わず、
眠らずの状態で。

けれどものその状態で敵兵を倒しながら、
司令部のテントまで辿り着きます。

で、その後頸部を撃たれて倒れ、
ペリリュー島の捕虜収容所に身柄を移管。

しかし、その2日目には、
収容所からの脱出に成功します。

さらに、船坂は2回にわたって
飛行場を炎上させることを計画しますが、
米兵に阻止され失敗。

その後、グアム、ハワイ、サンフランシスコ、
テキサス、と終戦まで収容所を転々と移動し、
1946年に帰国しました。

━━━━━━━━

(関心のある方は、舩坂弘著、
英霊の絶叫~玉砕島アンガウル戦記』をどうぞ)

人の能力が進化するとき

Circuit board on futuristic background

さあ、ここまでお読みいただき、
いかがでしたでしょうか。

確かにそんな人がいた、
というのは事実です。

そこで、
ちょっと別の視点から考えてみます。

かつて100メートルを9秒台で走るというのは、
とても考えられないことでした。

ところが、1983年にカール・ルイスが達成してから、
それが当たり前になってきています。

つまり、本当に達成した人がいる(と知る)と、
人類の能力は進化するのです。

今皆さんは、「かつて日本にこんな人がいた」
というデジタル情報を受け取っているわけですが、

それを真に受けていただくと、
皆さんの脳は進化します。
脳の許容範囲が一気に広がるわけですね。

私の場合、かつて、よく仕事や人間関係で
八方塞がりの時期がありましたが、

どんなに落ち込んでも、
特攻隊員や南方戦線の兵士の気持ちになると、
どうでもよくなるということがありました。

つまり、はっきりいって、
自分の苦境はまったく大したことではない。

今ここで死ぬわけではないし、
むしろ安全地帯にいて何を言っているのか、と。
そんな考え方で何度窮地を脱したかわかりません。

一方でこうした日本人がいたことに
誇りを感じる部分もあります。

特に今の時代、
情けない人たちばかりで嫌になりますが、

いざという時にそんな日本人の血が働くはず
と考えると、絶望ばかりでもなさそうです。

実際、自衛隊の特殊部隊は、
実戦を経験している米軍の部隊に勝るとも聞きます。

(詳しくはこちらの記事でどうぞ)

生命力の正体

Image of earth planet. Elements of this image are furnished by NASA-1

とはいえ、舩坂弘の生命力、
そして戦い方はやはり尋常ではありません。

どこからそうなったのか、
何がそうさせたのか考えてみます。

すると、手榴弾が不発だったあたりが
ポイントだったような気がします。

つまり、本当に死のうとして、
それができなかったという。

言い方を変えれば、
そこでもう死んでいるんですね。

その時に彼は茫然として、
なぜ死ねないのか、まだ死なせてもらえないのかと、
深い絶望感を味わったといいます。

が、それにより彼は魔神のような存在となりました。

そこに流れるのはもはや普通の人間の血ではなく、
脳の思考回路も魔神レベルのそれに変わりました。

それで米兵は被害を受けたにも関わらず、
えらく感動して、彼こそがリアルサムライだと
呼ぶようになったんですね。

本来でしたら、危険人物でもありましたので、
とっくに銃殺されていいはずです。

脱走して飛行場の破壊工作を企てるぐらいですから、
むしろ、何が何でも銃殺にしないといけません。

ですが、そうならなかったのです。

米軍は彼を「勇敢な兵士」と呼んで讚え、
その伝説は隣のペリリュー島まで伝わるぐらいでした。

では、そこにあったのは何でしょうか?

それこそ「死を超えた力」です。

死を超えた力

sunset  in Reine Village, Lofoten Islands, Norway

死を超えた力・・

ほとんどの方はそれを使わずに死んでいきます。

死を恐れ、死から逃れようとすることで、
そこを超えられないのです。

しかし、死と向かい合い、
それを超えた時に何が起こるのか。

本当の奇跡とは、
それによって起こるのではないでしょうか。

一方、その力は彼だけにあるものではありません。
人間であれば誰にでもあるものです。

しかし、そんな力があるとは誰も言いませんし、
むしろそうした力がないことを前提に、
世の中の大半の教えはできています。

ですから、そうしたありきたりの教えを
実践しても、奇跡は起きないわけです。

命を祓った後に、残るもの

blue sky and sun-2

これまでのお話を祓いや鎮魂、言霊に
当てはめてみますと、面白いことがわかります。

「祓いで結局何を祓うのか」というテーマにおいて、
ここで大胆に「命」としたらどうでしょうか。

「命」を祓ったら、何が残るでしょうか。
「死」でしょうか。「無」でしょうか。

いずれにしましても、
それは祓いの究極かもしれません。

障りでも穢れでも悪霊でもありません。
この場合祓うのは、自分の「命」そのものです。

言い方を変えれば、
障りも穢れも命あってのものであり、
悪霊ですら、命がなくなれば、怖くも何ともありません。

では、「命」を祓うつもりでお祓いを上げたとして、
本当に命がなくなるのかというと、そうではありません。
(肉体はまだここにあるのですから)

その際は、「命」にまつわる一切合切の思いを祓う
ということになりますが、

本当に命がなくなってもいい
というレベルまで行きますと、
そこから新たな命が芽生えます

生死を超越した命とも言えるでしょう。

すると、そこに「死を超えた力」
があることがわかります。

それを何と呼んだらいいでしょうか。

思い浮かぶのが、
「命を生む命」という言葉です。

言霊学を学んでいる方は、
ここで言霊「イ」を思い出す人もいるでしょう。

 

言霊「イ」とは、伊邪那岐大神でもあります。
ただの「命」ではなく「命を生む命」。

同時に「イ」は「意志」を示すものでもあります。

 

舩坂弘にはそうした本物の意志の発動が
あったのかもしれません。

私にはそれが魔神の振る舞いにも見えるのですが、
肉体人間の究極の姿と言えなくもありません。

命をつなぐもの、命を断つもの

autumn forest bokeh

命をつなぐもの、命を断つもの
ここで話を一般のレベルに落しますと、
たとえば病気の例。

病気で亡くなる方は、
病気で亡くなっているように見えて、

実は、この辺で死のうと決めている
という説があります。

つまり、自分の意志でそうしている
ということですね。

ですが、看護師さんの影響も
かなりあると聞きます。

看護師さんが患者に、
「もっと生きましょう」という意志を入れると、
患者もその分長生きするとのこと。

その時に、意志が共鳴して、
患者本人の意志も強まるのでしょう。

けれども、
その看護師さんが転勤とか退職でいなくなると、
その翌日に患者は亡くなってしまうそうです。

中村天風も言っていました。

銃弾を受けて死なない人間もいれば、
かすり傷で死ぬ人間もいると。

「結局、意志だ」ということですね。

というわけで皆さんの意志は、
今どこにあるでしょうか?

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