なぜ、客観視で「消える」のか

雪山

皆さん、こんにちは。
浅子雄一郎です。

感情マスタープログラム

順調に進んでいますか?

「感情がだいぶ客観視できる
ようになってきた」

という方も、いらっしゃる
ことと思います。

情緒語を読み上げたり
今の自分の感情とぴったりくる
言葉を探したり。

言葉にするという行為は
客観視を必要としますので

客観的な視点を養うことや
感情を俯瞰することに
絶大な効果があります。

客観視をすると冷たい人間になる!?

Igloo made with snow cubes at night

ところで

「客観視しなさい」

と言われると、
こんな一抹の不安を
抱くことはないでしょうか。

客観的になり過ぎると
冷ややかな自分になってしまい
世界が味気なくなってしまうのではないか。

私は、瞑想を始めた当時
そんな不安を感じていました。

その瞑想では「客観視する」ことを
徹底的に叩きこまれたからです。

どんなことがあっても
出来事や感情に盲目的に
反応するのではなく
とにかく、「観察しなさい」と。

それによって、
どんどん冷静になり

何事にも動じなくなっていく自分を発見した時、
こんな思いが頭をもたげてきました。

たとえば、スタジアムで
サッカーを観戦しているとき。

ゴールが決まって
周りでサポーター同士がハイタッチ
をして盛り上がっているなかで

自分一人だけそのときの心の動きを
客観視することに徹していたら、
サッカーがぜんぜん楽しめなくなって
しまうのではないか。

あるいは、私は音楽が好きで
当時ライブハウスによく通っていたので、

周りがノリノリで盛り上がっているのに
自分だけ体の動きの感覚や
スピーカーから伝わる音圧、振動といった
感覚をひたすら追っているようでは
音楽が楽しめないのではないか、
といった具合です。

(不安といっておきながら
実際、どちらの例も
試してみたことがあります。笑)

どこまでも広がる感覚

snow in Reine Village, Lofoten Islands, Norway-2

ところが、客観視によって
内面が静かになってくると、

実は、まったくの「逆」であった
ということに気がつきます。

すべてのことが
【味わい深くなった】のです。

音楽でいえば、一つひとつの音が
よりクリアに聴こえるようになり、
音の世界を豊かに
味わえるようになりました。

もっとリアルなところでいうと、
元々お酒はあまり強くなかったのですが

内側がクリアになったからか、
アルコールの回りが明らかに早くなって
自然とお酒を飲まなくなっていったのです。

波立った湖面に石を落としても
その波はすぐにかき消されてしまいますが、

静かな湖面であれば
その波は波紋となって
どこまでも広がる。

まさに、そういった感じでした。

(もちろん、人にはそれぞれの
「味わい方」がありますので
この例に限ったことではありません。)

ですので、瞑想、祓い、鎮魂をすることや
「とほかみえみため」を唱えることは
何かから現実逃避しているのではなく、

むしろ、まったくの逆。

そういった実践をすることで
出来事にまつわる感情をはじめ、
その本質を「直視する」「味わう」
ことになるからです。

そして、「味わう」ことが
よりできるようになっていくと、
良いことがたくさんあります。

日々の生活や人生が
味わい深くなるというのは
もちろんのこと

たとえば、何か心が揺さぶられる
出来事が起こったときや
感情が大きく動くようなことが
あったとしても、

それを必要以上に引きずらずに
終わらせることができます。

感情マスタープログラムでもお伝えした
ある感情が別の感情を呼び起こす「二次感情」

つまり、「こんなことを感じて
しまう私は、駄目な人間だ!」

とジャッジして、自らにダメージを
与え続けるということも
自然となくなってくるでしょう。

感情を味わうには?

Friends eating at a restaurant  and looking happy

「味わう」だけで
なぜ、そんなことが起こるのでしょうか。

ここで、感情や出来事を
「リンゴ」に例えてみたいと思います。

その目の前のリンゴを
消したいという場面で
皆さんだったら、どうしますか?

いくらリンゴを見つめても
リンゴは消えません。

匂いをかいでみたり
触ってみたり、耳を澄ませても
リンゴは消えませんね。

でも、食べて「味わって」しまえば、
途端にリンゴは胃袋へと消えて
目の前から無くなってしまいます。

「味わう」ものは
「消えて」しまうのですね。

いわゆる「未消化な感情」というのも、
しっかり味わうことができなかったために
消えずに残っている感情のこと。

感情に対して積極的に
「直視し」「味わう」ことになる
感情マスタープログラムとは、

「味わう」+「とほかみえみため」

によって、内面に、または人生そのものに
大変強力な祓いを起こすプログラムである
ことが、お分かりいただけると思います。

ちなみに、情緒語を唱えるときや
「とほかみえみため」を唱えるときも、

リンゴを消したときの
「口」を使いますね。

言葉は、客観視や味わいを深める上で
欠かせないものです。

さらに、EasyLOGOSや
ロゴストロンからの発信は

「〇は口ほどに物を言う」の
「〇」に働きかけるテクノロジーで

あるともいえます。

(「〇」はこの場合「目」ではなく
「意識」であったり、現象を生む元
という意味です。)

まさに、鬼に金棒ですね。

ということで今回は、

客観視することは、

「味わう」ことに通じ、
「味わう」ことで軽くなっていく!

というお話でした。

皆さんも、感情マスタープログラム
通して、そのような体験がありましたら
ぜひ教えてくださいね。

このプログラムを通して
楽しく感情を味わいながら
軽やかになっていきましょう^^

 

この記事を書いた人

浅子雄一郎

neten株式会社/ラボラトリオ株式会社研究員
早稲田大学教育学部卒。

ヴィパッサナー瞑想からマントラを使った瞑想など様々な瞑想法を経て、白川学館の門を叩く。

言霊の叡智を装置化したロゴストロンの信号で、それまでの瞑想の体感が一変。この体験に衝撃を受け、800年間宮中祭祀を司ってきた白川伯王家伝承の「おみち」を生涯実践することを心に決める。

祓い、鎮魂、言霊を実践しながら、自らが世界の人々と「おみち」との結び手となるべく、日々奮闘中。

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