かつて白川邸内にあった「祝部殿」とは?
祝殿(はふりでん)。
それは、宮中祭祀を司っていた白川家に永らく継承されてきた、ある殿舎がモデルとなっています。
皇太子が天皇になるときにおこなう白川神道の修行「祝(はふり)の神事」が執り行われていた、祝部殿(はふりべでん)です。
「祝(はふり)」とは、神にお供えする牲(いけにえ)を「屠る(ほふる)/葬る」者を「ほふり」と呼び始めたのが起源であるといわれています。
これが転じて、罪や穢れを放(はふ)る(=吹き送る)という意味も持つようになりました。
語り継がれたところよると、この祝の神事は
と呼ばれる者たちがお取り立て(=お世話)をして、真ん中に座られた天皇に対して八方から祝詞を奏上していたと伝えられています。
最後は、東京都新宿区の白川資長子爵邸の母屋に隣接する殿舎として昭和まで存在していましたが、当家の断絶に伴い、この祝部殿は失われてしまいました。
神と人のコミュニケーションプラットフォーム、完成。
「白川家の正統な有職作法(=公家の作法)を、より多くの人々に知っていただきたい。」
そのことが、日本や世界の文化にとって役に立つのではないか。
そう常々考えていた前代表 七澤賢治は、かつての祝部殿を「祝殿」として、甲府の地に新たに建立することを決意します。
それはまた、白川の高等神事を七澤賢治に授けた高濱浩氏の「白川を100年でも200年でも、甲府で守りなさい。」という遺言に託された想いからでもありました。
そして、一般社団法人 白川学館設立から2年後の2012年、祝殿が竣工。
歴史の舞台から消えてしまった祝部殿が、最新のデザインと建築技術とテクノロジーによって、現代に蘇ったのです。
造形作家であり、山梨大学大学院教授の井坂健一郎先生の全面協力のもと、敷地内と建物全体がインスタレーションという芸術理論(次回詳細)に基づいてデザインされました。
目に見えないものとつながり、これを捉えるための世界の叡智が建物全体に畳み込まれたこの場所は、「神とはこういうものか」「自然の働きとはこういうものか」ということが真に感じられる、人と神、人と自然とが出会う場所。
神祇文化実修の場であり、高等国策、教育、研究をはじめ、datum groupのあらゆる事業の拠点となっている祝殿には、かつて天皇御一人のための殿舎であった祝部殿の意志が、脈々と受け継がれているのです。
畳の上に、すべてがある。
天皇と神との間を取り持つ白川家によっておこなわれていた、神と君が一つになるための修行「祝(はふり)の神事」、そして、「十種神寶御法(とくさのかんだからごほう)」の行法。
白川の行では、【畳の上にすべてがある】という修行の形態をとります。
なかなか外に出ることが難しいやんごとなき(高貴な)方々が、畳の上で自然や神のはたらきを直知することができるように──。
つまり、その修行とは「最小で、最大の効果を発揮する」内容である必要がありました。
斯くして、白川に伝承される祓い、鎮魂、言霊、そしてこれらを貫く静止エネルギーには、「最小で、最大の効果を発揮する」
その確かな力が内在し、白川学館でおこなわれる各種祭祀やご修行を通して、時空を超えて、今を生きる私たちもこの力をありありと実感させていただくことができます。
そして、「政(まつりごと)」という言葉に象徴されるように、かつて祭祀と国を治める政治とが一体になっていた御世においては、神と君との結びが、国の行く末とも直接的に関わっていました。
ゆえに、「最小で、最大の効果を発揮する」その力とはまた、日本という国をお守りする“意志” そのものでもあるのです。
それを多くの方に静止エネルギーとして受け取っていただいた今回のロゴストン大顕現祭は、この祝部殿の歴史から続く意志であり確かな力を、皆様お一人おひとりに強く、しっかりと結ぶ機会となりました。
当日ご参加いただいた方は、祝部殿、そして祝殿に流れる力と共振共鳴同調を実感し、「最小で、最大の効果を発揮する」その静止エネルギーとの結びが、一層促されたようです。
いかがでしたか?
やんごとなき御一人が、畳の上で自然や神のはたらきを直知する。
そのための場であった祝部殿。
その歴史の流れを受け継ぎ、白川家の御神事を生きた形で伝える場である甲府の祝殿。
それらの繋がりを紐解き、静止エネルギーというものがもつ「最小で、最大の効果を発揮する」その出処をお伝えしてきました。
さて、その祝殿、実は建物の構造自体が静止エネルギーとの結びを促すものになっていると知っていましたか?
次回は、祝殿の構造がもつ「結界の秘密」についてお届けいたします。
どうぞ、お楽しみに!!