「静的な鎮魂」と「動的な鎮魂」
*七澤賢治講話集2「鎮魂」115ページより抜粋引用
静的な鎮魂というものは、
マインドフルネスといわれるものがありますけれども、
そういうものをはるかに凌駕した
瞑想というものを教えることができるのが、
この静的な鎮魂でもあるのです。
また、動的な鎮魂というのは、
宇宙創造を自分自身がするという
意識になることでもあるのですね。
その意識を客観視するとか、
主観視するといった分け方があると思うんです。
自らが宇宙創造の場面を
追体験するというか、
あるいは、
それを客観視して観るという技を、
主体者として生み出すということ。
宇宙というものができ上がっていく、
その姿を観るというのも
目撃者としての人間の仕事だといえるのですね。
そういう主観と客観ですね。
または主体と客体の両方を掴むということが、
意識の中で行う最初のことなのです。
(七澤賢治講話集2「鎮魂」115ページより抜粋引用)
古来、主に宗教的文脈でとらえられてきた概念に現代の最先端科学を接続させ、現代に生きる私たちにこそ活かされるべき実践の知として蘇らせた著者、七澤賢治氏が、「鎮魂」の現代的意義を求めて、新たな探求の旅をめぐります。
著者紹介
七澤賢治
1947年山梨県甲府市に生まれ。1978年大正大学大学院文学研究科博士課程修了(宗教学)。2010年白川伯王家伝の継承者として「一般社団法人白川学館」を創設。著書に『龍宮の乙姫と浦島太郎』(小笠原孝次氏との共著 和器出版 2017年)など多数。
「静」と「動」
七澤賢治の言葉はいかがでしたでしょうか?
ちょっと今回は難しいですよね・・
ということで、
七澤賢治の言葉を少しずつ紐解いてみましょう。
まず、
マインドフルネス(mindfulness)とは
評価や判断を手放して、
今という瞬間に注意を払うことでわき上がる
「気づきの状態」(awareness : 気づくこと、自覚すること)
という形で語義を説明されるものです。
これは七澤賢治の言葉を借りれば、
自分の意識を客観視する「静的な鎮魂」にあたるものです。
そして、仏教や禅に起源をもつ
マインドフルネスが目指す境地は「無」です。
この「無」とは、
客観視によりさまざまな物を手放した先に行き着く
心が静まり返った「静」の境地と言えるものかもしれません。
しかし、日本古来の瞑想法である「鎮魂」には、
「動的」な側面もあります。
これは、七澤賢治の言葉では、
「創造を自分自身がするという意識になる」と表現されるものです。
また、「静的」が客観に対して、「動的」は主観にあたります。
鎮魂が目指す境地「空(くう)」とは?
そして、マインドフルネスが
「無」の境地を掴むためのものだとすれば、
鎮魂が目指す状態が「空(くう)」です。
「空」の状態とは、
「高速で回るコマ」にたとえることができます。
回ってるコマは、一見すると止まっているように見えますが、
回転により外側に広がろうとする遠心力や重力が拮抗した状態で、
実は、エネルギーに満ちている状態です。
そして、
「静的な鎮魂」による客観視が導く「無」と
「動的な鎮魂」による主観的な創造による「有」の
すべてがある状態が「空(くう)」なのです。
datumグループは、
祓いにより「空」の状態になることをサポートする
デジタル音源や
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ロゴストロンなどのデジタル装置を使用する瞑想法である
デジタル・メディテーション(d.M)を開発し、
日本古来の瞑想法である「鎮魂」をより身近に、
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