魂を鎮める祈りの言葉
*七澤賢治講話集2「鎮魂」128ページより抜粋引用
今の時代では、
手を合わせる合掌というやり方もありますが、
亡くなる方や
亡くなった方にだけ合掌するわけではなくて、
生きている方にもやりますよね。
日本語の「こんにちは」に相当する言葉に、
ベンガル語やヒンディー語の
「ノモシュカール」「ナマステ」という言葉がありますが、
この言葉の本来の意味は、
「あなた自身の上に、
あなた自身の魂が、しっかりとありますように」
という祈りの言葉なのですね。
祈りの言葉というのは、
すべてが同じ源に発しているのです。
(七澤賢治講話集2「鎮魂」128ページより抜粋引用)
古来、主に宗教的文脈でとらえられてきた概念に現代の最先端科学を接続させ、現代に生きる私たちにこそ活かされるべき実践の知として蘇らせた著者、七澤賢治氏が、「鎮魂」の現代的意義を求めて、新たな探求の旅をめぐります。
著者紹介
七澤賢治
1947年山梨県甲府市に生まれ。1978年大正大学大学院文学研究科博士課程修了(宗教学)。2010年白川伯王家伝の継承者として「一般社団法人白川学館」を創設。著書に『龍宮の乙姫と浦島太郎』(小笠原孝次氏との共著 和器出版 2017年)など多数。
言葉と鎮魂と神。
七澤賢治の言葉はいかがでしたでしょうか?
あなた自身の魂が、
しっかりとありますように。
これは、まさに
「鎮魂」を祈るような言葉ですね。
このように言葉には、
日常的に使われる意味と、
言葉の起源に由来する本当の意味が
隠されていることがよくあります。
たとえば、地名。
古来からの言い伝えや、
その土地独特の風習が
地名として日本各地に残されています。
岐阜県の「飛騨(ひだ)」という地名もその一つ。
その語源は、
「日抱き」からきているという説があり、
実際この地には、
「日抱き御魂鎮め」という
鎮魂の儀式が伝わっています。
水面に映る太陽や月の光を正視し
心を鎮めた「日抱き御魂鎮め」。
言葉と鎮魂と神。
これらは太古の昔から、
日本という風土と切ってもきれない
関係があったのかもしれません。
下記の記事では、
「言葉と鎮魂と神」をキーワードに
古より大切にされた
「魂がしっかりとある」状態について
考察しています。
ぜひ、ご確認ください。