神道は単なる「生き方」
*七澤賢治講話集1「祓い」165ページより抜粋引用
神道というのは単なる生き方だから、
宗教ではありません。
とくに古神道というのは、
自然のただ中に入っていって、
その中で自分が外界を知ったり、
自分を生かしてくれているものを知ったり、
神聖なものを目にしたりするのです。
そこには自然があるし、
星も太陽も月もある、という教えというか、
そういう働きを森羅万象から掴んだらいいのです。
それが神道なんですね。
(七澤賢治講話集1「祓い」165ページより抜粋引用)
●古来、主に宗教的文脈でとらえられてきた「祓い」の力とはいったい何なのか?
●白川神道の継承者でもある著者が「祓い」の現代的意義を根源から問い直す。
著者紹介
七澤賢治
1947年山梨県甲府市に生まれ。1978年大正大学大学院文学研究科博士課程修了(宗教学)。2010年白川伯王家伝の継承者として「一般社団法人白川学館」を創設。著書に『龍宮の乙姫と浦島太郎』(小笠原孝次氏との共著 和器出版 2017年)など多数。
「自分の外」に神をおくか?「自分の内」のカミとつながるか?
七澤賢治の言葉はいかがでしたでしょうか?
「神道は生き方」
この捉え方に触れたとき、
わたしの中にあった「宗教」に対する観念が変わりました。
無論、神道は宗教ではないですが、
きっと宗教というものも、
本質的には「生き方」を伝えているのだと感じたからです。
単なる「生き方」だからこそ、
お正月や、クリスマス、人生の節目のお祝いごとのように、
宗教の教えに起源をもつ風習が、
宗教の垣根を超えて、
私たちの生活に根付いているのかもしれません。
さて、宗教の本質は「生き方」ではないか?
とお話を展開してきましたが、
それぞれの宗教において「生き方」の指針となる
「神観」は異なります。
そもそも「宗教」という単語は
明治に入って外来語を訳す中で作られたもので、
英語では“Religion”。
その語源はラテン語の“Religio”で、
「神への崇敬・畏怖」が原義とされます。
今回ご紹介する記事では、
欧米はじめ一神教世界での
超越絶対的な「神」を前提とした“Religion”と
古来からの大和言葉での
「カミ」という言葉が含む概念の違いを解説しています。
その結論とは・・
“Religion”的な「宗教」は
「自分の外」に畏怖や信仰対象としての神をおき、
本来的な日本の「カミのみち」としての教えは、
「自分の内」にもともとある
「カミ」とつながるものである。
となります!
この詳細はぜひご自身でご確認ください。